今日~明日、代々木オリンピック公園でゲシュタルト療法学会。
しかしながら、今日は終日仕事。明日は終日、(行けたら)別のセミナーがある。
ということで、今日の懇親会だけ参加(爆
行ってみると、懇親会というか、パーティ。フィエスタ。
さすが、ゲシュタルトなみなさんは、なりきるのが得意。
マリリンモンローとか、シルクハットを持って踊る昔のアメリカのレトロな踊りを踊る人のマネとか。
来年は鹿児島でやるとのことだが、鹿児島チームは、「沸騰する水」、「火山」を心から演じる(のではありません。そのものになります)といったことをやっていた。
肖像権的なところもあるので、写真も動画もアップできないのが残念。
しかし、怪しいモノではございません。いたってマトモです。
さて、で、そのパーティ懇親会であった余興のひとつに、「それがゲシュタルト!」という歌の披露があった。
ゲシュタルトをかなり(深くはないが)広く表していて、かなりカンドーした。
作詞・作曲された方の許可をいただいたので、歌詞の印刷された紙をアップしたい。
よく、「ゲシュタルト療法って何なんですか?!」という質問を受ける。
それは僕にとって非常に言語化しにくい問いで、説明しようとするとほぼ必ず失敗する。
その悩みは皆同じらしく、周囲のメンバーに聞いても、「あれは説明できない」、「見れば分かる」といった答え方をするしかない、というのがおおかたの答え。
ところが、この歌詞は、かなり広くゲシュタルトのせんとしていること、していることが表現されている。
ひととおり読めば、ちょっと心理学、セラピーの体験のある人であれば、どんな感じなのかおぼろげにでも見えてくる感じはあるかもしれない。
で、どうして普段の僕の説明ではうまく行かず、その一方でこの歌でならば伝わるのかというと。
それは、
「歌だから」
ではないだろうか、とふと思った。
「説明」しようとすると、情報を小出しにする都度相手の反応を見て次の対応を考えなくてはならない。
それだと、ゲシュタルトのような全体性を扱うものについて伝えきるのは難しい。全体は、部分の集合ではないし、早い段階で突っ込まれても、その段階で伝えられている情報は少ない。最初のほうに紹介した事例や手法が相手の興味を引かないものだったとしたら、次に出すべきコンテンツのハードルは高くなる。
一方、歌として提供されたものについては、相手の反応も何もなく、とりあえずひととおりの伝えたいことをすべて受け流してもらい、それから対話の時間になる。
その段階では、前提として活用できる情報も増えている。一定のリズム、ペースでひととおり情報を与え続けていると、そのどこかで相手が興味を持つような何かも提供できている可能性が高くなる。
対話は、その相手の興味を軸にはじめればよい。
歌以外にも、踊り、物語を使うといったことも考えられるだろう。
ということで、今日の懇親会では、教育を生業としている身として、思うところいろいろ。