風邪をひいたらしいです。
日中の外での予定はキャンセルして、室内に引きこもっています。
2月は、ただでさえ身体も冷えやすいです。
風邪もインフルエンザもブームです。
法人研修のような予定が確定している仕事は、代わりが利きません。
仕事がら、そこだけは絶対にはずしません。
逆に言うと、それ以外の予定はすべて「ダメならあきらめる」くらいのつもりでいます。
参考までに、僕がこういうときにしていることを少しだけシェアすると、こんな感じ↓:
「役割をこなす自分」を見つけたら、役割ごとに、自分の中にある「その役割をこなす自分」スイッチを順番にオフにしていきます。
「休む」とは、物ごとと適切な距離を置き、一時的にでも役割を解除することです。
代わりの役割を負ったなら、そのとき、人は、休んでいるとは言えません。
そういう意味で言うと、会社の昼休みに「この昼休みの時間を使って、○○して、○○して、…」と予定をつめこむのは、「休み」とは言えません。
「スマホやパソコンでネットしまくる」とかいうのも、休みとは言えません。
休んだかどうかは、「休み時間」が終わったあとの自分の心身の調子で分かります。
休んだつもりで休めてないときは、休憩時間が終わると、別の疲れが溜まっている (-_-;
と、こんなことを書くと、「じゃあ、このメルマガは?あなた、『役割を降りた』とか言いつつ、『メルマガを書いて送る』という役割を負ってない?」という質問が来そうですが…。
ここはまた微妙なラインで。
僕は、メルマガは、心身が勝手に動くので、それに任せて書いています。
「自分の身体が勝手にやったことが、ついでに、誰かの役にも立てばいいな」くらい。
「読者のため」でもなければ「自分の(ビジネスの)ため」でもないです。
そういう部分もありますが、それは、結果論。
ものすごい原点を言うと、「心身が勝手にやっているので、それに任せている。」
メールを書くときにとても工数がかかることもたしかにあるのですが、この線ははずさないように、といつも心がけています。
とはいえ、書き込んでいると、だんだん、「役割」ぽくなってくる。
「心身が勝手にやっているので、テキトーに放置している」くらいのつもりで軽い気持ちではじめたことが、いつの間にか、自分の役割、重課になっていたり。
「内容のあるメルマガをお届けする私」という「役割」が、前出てきます。
当初の意図からはずれてそういう自分になりかけていることに気づいたら、一度、さっさと役割を降ります。
その上で、再選択。
「じゃ、続き、書きたい?」と自分の心身に問います。気が向かなかったら、そこでおしまい。
「ここまでかけたエネルギーがムダになる!」とか、そういうことは考えません。
あれこれ考えると、「ここまでかけたエネルギーを使い切る私」という「役割」がはじまってしまうので。
じゃ、代わりに何をするのか?というと、そこで、改めて、そのときいちばん心身がやりたいことを身を任せます。
「昼休みに、スマホやパソコンでネットしまくる」というのも、良いといえば良いんです。
役割解除したうえで、心身が自然に向かう行動であれば。
それが、いつの間にか、「このページ、ぜんぶ読み切るぞ」と役割を負っていたり、
いつの間にか、「いつも巡回しているサイトをひととおり見るぞ」となっていたら、要注意。
それは、「やりきるまで、やる」という自分に対する役割です。
「心身が悲鳴をあげそうになっても、視力なり知力なりを使って、ムリに行動しようとする」→役割から来る行動の典型です。
自分で背負い込んだ「役割」に気づいたら、開放しましょう ヾ(´ー`)ノ
このメルマガも、もしもあなたがギンギンになって読まれているようでしたら、今日は、試しに、昼の楽しみくらいにとどめてください。
「あのメルマガは、昼休みに突入したら、すぐに開くぞ!」とか、
「あのメルマガからは、毎日、必ず、何か、つかむぞ!」という意図を持つという選択もできます。
そして、「いつでも読むのを止める」というさらっとした気分で読むという選択もできます。
豊かさとは、選択を自由にできること、選択可能であることです。
いつもの「地図→気づき→選択→手順」のセオリーで言えば:
地図:
「へー、そんな昼休みの過ごし方についての考え方もあるんだ」と知る。
↓
気づき:
「ハテ、今の自分はどうだろう?」と、自分に気づいてみる。
↓
選択:
「いつでも読むのを止める」というさらっとした気分で読んでみる。
↓
手順:
「昼休みが終わると憔悴しきっている」というパターンを脱出!
ということですね。
力を抜いて空を見上げたら、晴れた空が広がっているかもしれない。
あなたの心身は、ネットニュースよりも、そういう空とか空気とかを感じる瞬間のほうをより求めているかもしれません。
「気づく力」を高めるには、以下の講座がおすすめ↓。