去年のいまごろからずっと学んできた研修があります。
昨日は、その仲間での忘年会でした。
プレゼント交換をしました。
僕が用意したのは、OSAJI のハンドソープ。
僕が受け取ったのは、marks & web の小物3点セットでした。
振り返ると、今年も、受講日数10日以上、総額50万円以上の講座を3つも受けていました。
いい仕込みになっているという実感があります。
来年はより良いアウトプットがたくさんできそうに思います。
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12月10日のメルマガ: [Ctrl] + [F1], [Ctrl] + [1]
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12月14日のメルマガ: [F3]
12月21日のメルマガ: [F4]
という流れの延長で、今日は、[F5]
【エクスプローラ(フォルダ)で】
[F5]: 再読込する
【ブラウザ(Chromeとかインターネットエクスプローラとか)で】
[F5]: ページを再読込する
[Ctrl] + [F5]: 「キャッシュ」を無視して再読込する
【パワーポイントで】
[F5]: プレゼンテーションを開始する
[Esc]: プレゼンテーションを中止する
【Visual Basic Editor(マクロを書く画面)で】
[F5]: マクロを実行する
[Esc]: マクロの実行を中止する
エクスプローラ(フォルダ)での「再読込」というのは。
何らかの事情で、ファイルやフォルダを新規に追加したり削除したりしても画面上に反映されないときにやることです。
「再読込」をすると、画面上に反映されていなかったファイルやフォルダの追加なり削除なりが反映された状態になります。
ブラウザでの再読込も同じ。
「キャッシュ」とは何か?という説明はまた次回にでも。
パワーポイントでの[F5]は、[Esc]とセットで覚えてぜひ使いたいです。
Visual Basic Editorでのショートカットキーと同じなので、マクロを書ける人は、そこで覚えたショートカットキーをパワポスキルとして転用してください。
スキル獲得の「確実かつ最短最速の方法」とは、何でしょうか。
それは、「できて当然」という人たちの作る場に参加することです。
と言われてもにわかにはピンとこないと思われるので…。
「『できて当然』という人たちの作る場」に参加していない人たちの話として、僕自身の、南米での体験をひとつ書きます。
20代のある日、僕は、ボリビアで日本人が経営しているパン屋さんを訪ねました。
そこで店長さんと話をしていると…。
ボリビア人の男の子が二人きました。たぶん、兄弟ではないかと。
彼らは、店に陳列されていたパンを何個かトレイに取って、僕らのいたところのレジまで持ってきました。
そして、年上の男の子のほうが、ポケットから適当に小銭を出して、レジ横の台におきました。
パンの値段はいくらになるのか? 自分は、いくらの金額をポケットから取り出したのか? といったことなど、さっぱり気にしている様子はありません。
その店長さんは、丁寧に小銭をとりわけ、パンの代金の分だけ受け取ると、残りを男の子に渡しました。
男の子二人は、小銭の額を確かめることもなく、パンと小銭を受け取ると、「グラシアス(ありがとう)」と言って店をでていきました。
店長さんは、そのあと、ため息をつきつつ、こう言いました。
「この国は、こんな感じなんだよ…。簡単なかけ算もできないままで大人にになっていく子がたくさんいるんだ。こんな状態が当たり前で、この国は、どうなっていくんだろうね」
この体験は、あとあとの僕自身の学習や教育事業を行うときの方針にかかわる、僕自身の原体験とでもいえるようなものです。
興味深いレポートがあります。
同じ南米の話。ただし、ボリビアではなく、パラグアイですが。
「全国・海外子女教育・国際理解教育・研究協議会」というNPO法人が出したレポートです。
何について書いているのか?というと。
「パラグアイでのかけ算九九の教育」です。
日本人でかけ算九九ができない人はまずいません。
日本人は、誰もが、「ひとけたのかけ算なんて、できて当然」と思っています。
というか、当たり前すぎて、「できて当然」とすら思っていないかもしれません。
「生きている限り、呼吸をするのが当たり前」くらいの感覚です。当たり前すぎて、もはや、意識すらしていない。
日本では、小学校2年生で、かけ算九九を学びます。
学ぶというより、叩き込むレベル。
徹底反復練習をして、数ヶ月もしないうちにほぼ全員がかけ算九九をマスターします。
大人はみんな「かけ算九九なんて、誰でもできるだろう」と思っている。
子供も、最初は不安もあるのだけど、「じゃ、そんなもんなのかな」となんとなく思いはじめる。
いろいろツールを渡される。仕組みの確立したこまぎれになった練習と試験をくり返させられる。
だんだんできるようになってくる。少し成功するたびに模造紙にシールを貼ってもらえて、なんとなくうれしい。
友達もどんどんできるようになっていってる。「あ、じゃあ、自分も最後は全部できるようになるのかな」と、確信が高まってくる。
そのうち、気がついたら、自分も九九を全部言えるようになっている。すごい感動!
ここまで、だいたい数ヶ月。
そしてさらに時間が経つと、いつの間にか、できるのが当たり前すぎてそのこと自体には特に感動もなくなっている。
そんな感じです。
ところが、パラグアイでは、かけ算九九なんてできないのが当たり前。
レポートによると、小学校2年生どころか、6年生になっても、約半数がひと桁のかけ算を満足にできないそう。
日本では、幼児ですら、数ヶ月で全員ができるようになる。
パラグアイでは、4年かけても、半数もできるようにならない。
ということです。
では、どうしてパラグアイ人は「かけ算九九」レベルの計算もできるようにならないのか?というと…。
詳しくはリンク先のレポートを読んでいただきたいのですが。
その理由は、平たく言うと、「かけ算なんて、できなくて当然」と誰もが思っているからです。
「生徒がみんなかけ算九九を覚えられるようになる」なんて、学校の先生も思っていない。
親も思っていない。
周囲の大人も思っていない。
文部省も思っていない。
国民全体が思っていない。
周囲を見渡してもさっぱり成果がでている様子が見られない
パラグアイの小学生は、そんな環境に身をおいています。
「かけ算九九」を覚えるのに、どんな環境が必要か?
どんなツールが必要か?
それをマスターすることで、どんな未来が開けるのか?
そういうことに対する共通理解がさっぱりないわけです。
なので、あらゆる準備も不十分。
教育の環境も不十分。
教育をやりきるために必要なツールも不十分。
教育にかける時間も不十分。
演習にかける時間も不十分。
成果が出ないに決まっています。
そんな環境下、パラグアイの学校の先生は、生徒に、情報はしっかり提供しています。
「ほら、ほら。かけ算は、こうやるんだよ。こうやって覚えるんだよ。じゃ、あとは自分でしっかりマスターしてね。アディオス(さよなら)」
と、そんな感じ。
そして、情報を受け取っただけでフォローらしいフォローもしっかりされないまま、学んだはずの情報は、小学生の記憶の中でどんどん腐っていきます。
そういうことが積もり積もって、パラグアイの小学生の計算力のなさに至っています。
「かけ算九九」だけでなく、パラグアイの小学6年生は、簡単な計算も間違えまくる計算力のなさです。
ですが、日本では、上記のすべてがあるわけです。
「できて当然」と思っている。そして、その「当然」と誰もが思っていることを実現するための準備がしっかり整っている。
なので、日本の小学生は、しかるべきタイミング(小学校2年生)で自然にトレーニングに参加させられ、いつの間にかスキルが身についてしまうわけです。
ただ、同時に面白いのは、そんな何もかも不十分な環境にいて成果も出せていないパラグアイの子供たちは、算数嫌いなのかと思ったら、まったく逆だということ。
アンケートをとってみると、実に、100人中93人の子までが、「算数が好き、まあまあ好き」と回答しているのです。
(アンケートは同レポート9ページに載っています)
この数字は、むしろ、日本の子供以上。
算数が好きだと答えた子どもたちの理由は:
と、算数の勉強に対する姿勢はとてもポジティブです。
しかも、パラグアイの小学生は、小学生ながらに、将来のことも考えています。
どんな時に算数が役にた立つと思いますか?というアンケートには
と、小学生ながらに、「これは、ちゃんと学ばないとマズイぞ!」と思っているわけです。
にもかかわらず、残念ながら、彼らは成果を得られません。
もちろん、「パラグアイの子供は日本人の子供と違って、かけ算をできるようになるための遺伝的要素が欠けているのだ」というわけでもないでしょう。
つまり、どういうことか?というと。
パラグアイの小学生に起きていることは:
○元々の能力はある
○やる気はある
○やらねばならんとも思っている
●なのに、結果はでない
ということです。
なぜなら、これはもう、理由はただひとつ。
●環境が悪いから
です。
どんなにやろうとしてもだめ。どんなにがんばってもだめ。たとえできるようになったとしても、人並み以上の、ムチャクチャな努力が必要です。
とても残念です。意欲も努力ももったいない。
逆に、日本人はなぜ「かけ算九九」なんてできて当たり前なのか?
当たり前すぎて、当たり前だということすら意識しないレベルで当たり前なのか?
というと…。
これもまた、理由はただひとつ。
○環境が良いから
です。
「できて当然」と思っている人に囲まれている。「できて当然」と思っている人たちがしかるべき準備をしている。そんな場にいれば、多少算数に苦手意識があろうと、将来の必要性なんて考えてなかったとしても、「確実に、最短・最速に、勝手に結果がでてしまう」というわけです。
20代のとき、ボリビアのパン屋さんで少年たちのふるまいを見たという体験。
あれは、僕にとっては、「スキルを身につけることって、環境次第なんだな」ということを、本当に実感できたという意味で大きなことでした。
「『できて当然』と思っている人ばかりの環境に身を置く」
それが、スキルを身につけるための、「確実かつ最短最速の方法」です。
教育の仕事を設計するとき、僕は、いつも、「どんな環境を作るか?」ということを考えます。
当時の体験を思い出すにつけ、「情報を提供するだけではだめ。受講生を、あのボリビアの少年たちのように放置しておくわけにはいかない」と思うからです。
また、自分が何かを学ぶときにも、「どんな環境に身を置くか?」ということを考えます。
当時の体験を思い出すにつけ、「情報を集めるだけではだめ。あのボリビアの少年たちのような環境では、どうせ結果なんて出ない」と思うからです。
この話は、パソコンスキルの習得にもそのまま当てはまります。
もしも、あなたが、パソコンスキルの勉強に対して:
○元々の能力はある
○やる気はある
○やらねばならんとも思っている
という状態だったとしても、環境が悪ければ、パラグアイの子供にとってのかけ算九九と同じ。
残念ながら、何年やってもさっぱり結果はでません。
たとえ結果を出せとしてとも、相当の遠回り、ムダなエネルギー浪費をしてしまうことでしょう。
一方、もしもあなたが、パソコンスキルに対して、
○元々の能力はちょっと怪しいかも…。
○やる気もないんだけど…。
○なんとか、パソコンとは向き合わないままで、ごまかして人生を乗り切りたいな
なんて感じていたとしても、しかるべき環境に身を置くことに成功できれば、あとは勝手に成果はでます。
「確実かつ最短最速」で、最小限のエネルギーだけで成果を出せます。
ガラパゴスの対面講座「パソコン仕事5倍塾」が妥協しないで取り組んでいるのは、まさに、この「しかるべき環境」作りのところです。