エクセルマクロ・VBA達人養成塾 小川です。
キューバ旅行記、その14です。
Parque Central (中央公園)の脇から、小道に入っていく。
この道を抜けていきます。
小道にあった、土産品屋。
チェスに打ち込むオヤジ2人。
なんというか、昨日の七面鳥オヤジ同様、超キューバらしい風景。
「エクセルVBA」にしろ「VLookup関数」にしろ、
Windowsのショートカットキーにしろ、英語にしろ、
何でもそうなのですが、
何かを学ぶにあたって「それに対してどういうセルフイメージで望むか」という視点で見ると、
2種類のパターンの人々がいます。
○「自分は未習得者であり、ここで学んだあとも未習得者であり続けるだろう」
と感じつつ学ぶ人
○「自分は生来的にこれについてはなんとなく分かっている。ただ、ちょっと情報が
整理されていないか、ノウハウをいくらか知らないだけだ」
と感じつつ学ぶ人
前者のセルフイメージは、「学生」。
後者のセルフイメージは、「職業人」です。
もっと言うと、その差は、「受け取り続けたい人」と、「与えるための準備をすばやく終わらせたい人」。
前者のような態度で学ぶことを「novice(見習い工)の学び」、
後者のような態度で学ぶことを「maestro(熟練工)の学び」と僕は呼んでいます。
学ぶにあたって望ましくない態度は、「noviceの学び」の姿勢を取ることです。
「自分はnovice(見習い工)だ」と心に決めたところで、
あなたの潜在意識は、いつまでも「novice(見習い工)」でいることを現実化します。
すなわち、「maestro(熟練工)」であろうとはしなくなります。
自分がnoviceだと決めたところで、あなたは、これから学ぶことを
自分の体験と大きく切り離して捉えます。
それまでの自分の人生とは別個のものとして、砂上に柱を立てることから学びをはじめます。
無理解、無体系化、無秩序が続くことを好み、
むやみに自分で自分を混乱させることを好みます。
学びに必要な規律を守らず、最適な手法を子供のような抵抗をもって拒絶し、
(たいていは、「自分にはまだ早い」「分からないからできない」といった理由づけが伴います)
記憶すべきことを、とても記憶に入らないような、
わざわざ覚えにくい手法をもって覚えようとします。
(言い換えると、「それを覚えられないように」します)
多少の成果が出たとしてもそのことには目をつむり、
ひきつづき「novice」であることを心地よしとします。
(セルフイメージ通り、「学生」であり続けようとします)
学ぶにあたって望ましい態度は、「maestroの学び」です。
「自分はmaestro(熟練工)だ」と心に決めたところで、
あなたの潜在意識は、これから学ぶことについても、
maestroは、これから学ぶことを自分の体験に関連づけ、
それまでの自分の人生経験と比較しながら学び、
すでに確立した自分の柱に紐づけて学んでいきます。
無理解、無体系、無秩序を拒絶し、「自分が当然得られるもの」として
理解、体系化、秩序を獲得しにいき、そして、獲得します。
学びのすべての過程で、混乱より整頓を心がけるようになります。
学びに必要な規律を守り、学びに最適な手法を大人の
注意力と節制をもって受け入れ、記憶すべきことを、
自身が過去に同様のことを覚えたときに使った手法を再現し、
効率的に記憶しようとします。
小さな成果を、「maestro(熟練工)による最初の適用だ」として
受け入れ、さらなる熟練の足がかりと捉えるようになります。
maestroは、学びに際し、「すでに自分が分かっていることについて、遅れて情報がやってくる」かのように認識します。
その学びの過程は極めて短い時間で修了します。
その新しい学びを取り入れ、より熟練した「maestro」になること、
より早くその技術を応用することを好みます。
ところで、noviceな人には、自分が「maestro」になることを
無意識レベルで禁じている場合が多くあります。
そして、そういう人はなんとなくの雰囲気でそうと分かります。
あなたの周囲で、なかなか成果の出ない「novice」を見かけたら、
あなたには、今すぐ「maestro」になってもよいのだ、ということを
伝えてあげましょう。