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名作「カモメのジョナサン」を「文化的重心」の視点から再度紐解いてみる

2010年9月13日
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昨日のエントリーで、「文化的重心」の話を書いた。
http://www.exvba.com/blog/?p=1872

今日は、その流れで、名作「カモメのジョナサン」を「文化的重心」の視点から再度紐解いてみたいと思う。

かもめのジョナサン – リチャード・バック 翻訳:五木寛之
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102159010/konesweb0f-22/

この話のあらすじは、こんな感じだ。
(wikipediaから引用したものに追記)

主人公のカモメ、ジョナサン・リヴィングストンは、他のカモメ達が餌をとるために飛ぶことに対して、飛ぶという行為自体(カモメである彼らにとっては、生きることそのものと言えるかもしれない)に価値を見いだすようになる。

ジョナサンは、食事をするのも忘れ、速く飛ぶ事だけのために危険な練習を重ねる。

そして、その奇行ゆえに長老などから異端扱いされ、群れを追放されてしまう。

それでも速く飛ぶ訓練をやめないジョナサンの前に二匹の光り輝くカモメが現れ、より高次の世界へと導かれる。

「目覚めたカモメ達」の世界のなかでジョナサンはより高度な飛行術を身につけ、長老チャンから「瞬間移動」を伝授される。

そしてある日、弟子を連れて下界に降り、カモメの人生は飛ぶことにあるという「思想」を広めようと試みる。

しかし、ざんねんながら、下界のカモメたちのほとんどには、彼の思想は受け入れられなかった。

ただ、そこを去って再び高次の世界での修行に立とうとするジョナサンだが、やはり別のところでかつてのジョナサンのようにひとりで飛行の練習をしているカモメを見つけ、そのカモメに飛行を伝授するようにもなる。

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実はこの話の流れは「十牛図」とほぼ同じなのだ。
http://d.hatena.ne.jp/juku-cho/20090103/1230995924

その話もつっこんでしてしたいのだが、ちょっとガマンして、今回は「文化的重心」論だけにテーマを絞る (^^;

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「文化的重心」の視点で見ると、この話は力学的に言ってこういう流れになる。

「生きることそのもの」に対する意識を高く持ったジョナサンは、他のカモメたちの意識で形成された「文化的重心」との乖離が大きくなりすぎ、彼らのレベルに引きずり下ろされて暮らすかその文化から離れるかの選択を迫られる。

彼は、引きずり下ろされることを嫌い、その文化から離れることを選択する。

そして彼は、自分が「文化的重心」よりやや下にいるような、成長志向の集団が構成する社会に出会い、その社会に参加することを選択する。

新たに参加したその社会の中「文化的中心」にまで到達し、さらに、「長老」(長老は同時に、その集団の一構成員でもある)との二者という関係(二者がいれば十分に社会だ)で、さらに「文化的重心」を引き上げる作用に乗り、能力を高めていく。

そして、自分をこれ以上引き上げる効果のある社会を見いだせなくなったところで、ジョナサンは、かつて自分を追放した社会に戻る。

その狙いは、その社会に自分が参加することで、社会全体の「文化的重心」を大きく引き上げ、マジョリティの意識レベルを引き上げることだったのだ。

しかし、力不足のため、彼は失敗してしまう。

(ここで、何が起こったのかというと、より具体的には、かつていた社会の「長老」たちの「権威失墜」に対する抵抗を打ち負かせなかった。

もうちょっと言うと、「権威失墜」とは、文化的重心より明らかに上位にいた存在が、何かの事態のために文化的重心あるいはそれ以下の位置に相対的な位置を落とすことである。もうちょっと平たく言うと、長老たちは、自分たち以外に意見を聞くべき者が出現するだけでその地位を相対的に下げることになるのだ)

そして、より、自分が参加することでのインパクトが大きい別の社会(ひとりで高度な飛行にトライする別のカモメが一羽でいるところ)に参加し、そのカモメが自然に成長できる土壌を形成する。

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ここから得られる教訓はおもしろいし、いろいろなことが目につく。

まず興味深いのは、カモメのジョナサン自身が高度な能力を身につけるに至った過程が、昨日書いたとおりの流れになっている点だ。

> もしあなたが「重心より比較的上」という以上のところにいるのならば。
> 別に、その集まりとの縁は切らなくても良いのだが、それとは別な「人の集まり」にも参加することをお勧めする。
> ここで、塾長が理想的と考えるのは、以下の条件を満たす集まりだ。
>
> 1. あなたがこれから捕まえたいと思っている、今のあなたではギリギリ届かないような目標を達成した人が多くいる
> 2. その「集まり」の人たちが、「進んで代償を払ってでも成長したい」と考えている
> 3. 今のあなたでは「文化的重心」にちょっと及ばないかもしれないくらいのところ

ジョナサンも、自分の足を引っ張る社会から逃れ、新しい社会に参加した。
その社会は、上記の3つの条件を満たした社会だ。

それからもうひとつは、そんなジョナサンは、二度にわたり、古くから参加していた社会に拒絶されたことだ。

実は、この拒絶には、どちらの立場から見るかで、二つの解釈ができる。

「社会の文化的重心」から見てジョナサンの位置があまりに高かったのでジョナサンが排除されたのか
ジョナサン単体で形成される社会の「社会的重心」から見て古くから参加していた社会の位置があまりに低かったので、その、「古くから参加していた社会」のほうが排除されたのか
一見すると、排除したのは長老たちのようだが、実のところはどちらが「排除した」とかではなく、ただ結果として、「二者は離別した」というだけのことである。

……ということで、その話も書き出すとまた長くなってしまうので、続きはまた今度の機会にしたい。

ps.

12月31日のエントリーに書いた松原泰道先生出演のTV、あなたはご覧になったろうか?
http://d.hatena.ne.jp/juku-cho/20081231/1230732796

今日確認したところ、再放送は、1月18日の昼2時からということらしい。4日に見損なったようであれば、ぜひ観ていただければと思う。

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