達人養成塾 小川です。
今日は、夕方から、慶応大学三年生の女の子がインターンでやってきました。
彼女には、明日にかけて、セミナー中に紹介するDVD教材等のためのPOPを作ってもらうことになっています。
さてさて、どんなものができるやら。
..で。
その途中、一段落していたとき、もうひとりのインターン生君の話になって。
そして何故か、「人は、自分の周りに見えない限界を作ってしまって、自分からはその限界の外に出ようとはしなくなる」といった趣旨の話になりました。
で、そのときふと思い出したのが、僕が29才で入院していたころのこと。
当時、ウェブにあげていた日記に、こんなのがありました。
「ニューデリーは40℃」 http://www.konesite.com/noise/5hospital/delhi.html
長く入院生活が続き、「治る見込みもあるんだかまったく分からない」とされていた当時。
僕は完全に錯覚して「もう僕は、この先何十年も、この病棟から出ないで暮らすんだ」と感じるようになっていました。
そうなると、建物の外のことは、自分の頭の中からすっかり追いやられてしまいました。
外界がどういう天気だろうと、病院の外にいる人が僕のことをどう感じていようと、まったくそういうことに対しての意識が向かなくなってしまったのです。
当時の日記に、
窓ガラスとテレビの画面の違いはどこにあるんだろうかなんてことも、ちょっと前まではよく考えていた。
「東京は38℃。」というのと、「ニューデリーは40℃」というのの違いは、ディスプレイを通してしか情報を得られない僕にとってはたいして大きくはなかった。
なんていうことが書かれていました。まったく、そんな感じでした。
実際には、外界と触れようと思えばいつでも簡単に触れられる状態だったにもかかわらず、です。
そう、僕は、その気になれば、いつでも、エレベータで一階に移動し、そこから外に出ることができました。
でも、担当の先生から「許可」が出るまで、決して、そんなことをしたいとも思っていませんでした。
許可が出たのは入院してから3ヶ月も経とうとしていたころですが、その時には、「外に出るなんて、なんて煩わしいことなんだ。とんでもない」と感じていました。
退院して、普通に日常生活を送っている今となってはそんなことはもう過去のことですが。
でも、こういうことって、状況は異なれ、誰の人生にもあるような気がします。
きっと、あなたの人生にもあります。すぐに触れようと思えば触れられるところにあるのに、まるで別世界と感じている世界が。
もちろん、僕の人生にも、まだまだあるのでしょう。