サッカーワールドカップ、日本は無事にグループリーグ突破!
まずは、めでたいですね ヾ(´ー`)ノ
ということで、今日は、サッカーにちなんだ僕のコンテンツの紹介を、軽くしたいと思います。
実は、僕は以前、サッカーの公認審判員でした。
ライセンスを持って、都リーグとか、Jのユースチームの試合とかを吹いていたんですね。
自分でも、結構、才能はあったと思います。
都でも、若手から選抜されたクラスで、特別な教育を受けていましたし。
まだ、僕が倉庫会社に勤めていたころのことです。
港の現場で、フォークリフトやトレーラーのあげる粉じんにまみれ。
泥だらけになりながら、作業員のおっちゃんらと、大声を出し合いながら仕事をしていたころです。
「エクセルマクロ」なんて、知りもしません。
職場、超アナログな人たち揃いでした。
会社でWordの表の集計をしようとして「Σ」ボタンを押したら、年下の先輩に、
「そんなの、信用できるの.. (-_-; 」と真剣に聞かれ。
ExcelのSum関数とかを使うと、所長から、
「またサボろうとしている。。ちゃんと、電卓を使え!」と、意味不明な指導が入る職場。
夜も昼もあまりない仕事。
物流業界自体が調子が悪く、ITにすべて駆逐されてしまうのではないかと恐々としていた時期。
「漁船員」以外には、就労経験らしいもののなかった僕は、自分の社会人人生をまったくコントロールできないまま、流れるように倉庫会社の現場担当者になり。
そして、唯一、どうにかできそうな、自分の得意な領域に人生の楽しみを見いだしていました。
それが、僕にとっての、「サッカーで、公認審判員として活躍すること」だったんですね。
あのまま、あの方向で努力をしていたら、どうなったのだろう、とか思います。
..なのですが。
29才のとき、僕は、「ネフローゼ症候群」を患い、半年の入院を経験。
それまで鍛えまくっていた体は、ガタガタに。。。
「Jリーグで笛を吹くくらいは当然。国際ライセンスを取得して、世界中のレベルの高い試合で笛を吹きたい!」
という目標もあったのですが。
すべてをあきらめることになってしまいました。
今でも、当時の喪失感は忘れられません。
「もう、僕の病気は治らないらしいです。運動も無理だそうです。ライセンスは更新しないことにしました。もう、上を目指すことはあきらめます。」
お世話になった育成担当の指導員の方にそう伝えるためだけに行った東京体育館に行きました。
体が思うように動かないので、電話の挨拶だけで済ませてしまった方もいました。
かなり、虚しかったですね。
..そして、そんな時期に出会い、次の方向を示してくれたのが、「Excelマクロ」をはじめとする、オフィスワークをしている中で身につけていったオペレーション効率化のためのスキルなのですが。
まあ、今日のところは、マクロはともかく ヾ(´ー`)ノ
今日は、そんな、「審判員」時代の僕の遺作を紹介。
小川慶一の個人サイトに、「サッカー審判手帳」というコンテンツがあります。
http://www.konesite.com/reports/
僕は審判員としての経験と、ルールについての理解があったんで、そういう視点から、一歩引いて、サッカーの観戦記を書いていました。
審判の公平性、一貫性とか、何かと批判されがちですが。
ルールについての知識と経験がある人が聞いていると、選手経験豊富な解説者でも、アナウンサーでも、(?)いうようなコメントとか多いのですよね。
そんなことから、
○あのときの、あの審判の判定って、どうなの?
○そもそも、あの判定をしたときの審判の位置って、どうなの?
○あそこで解説者がああ言ったけど、そのコメントの内容って、正しいの?デタラメなの?
といったことを、ルールについての知識と経験を元に解説しています。
(ひところ、一部で、「マニアックなサイト」として評判でした (^^; )
引退を決める前後から書いていたコンテンツなのですが。
「へー、こんな視点もあるのか」と、楽しんで読んでいただければと思います (^^;