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2010年賀状 – 観自在菩薩

2010年1月8日
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短期集中力研究所

2010年の賀状に使った絵。

丑年であった2009年は、「十牛図」という適切な題材があったが、今年の賀状では、絵選びに苦労した。
虎にちなんだ仏法説話で、年賀状の題材にしたいようなものも特になかったためだ。

結局、コンビニで選んでいた賀状絵集の中で目に留まったこの絵を用い、左に「観自在菩薩」という語を自分で追記した。

「観自在菩薩」とは、玄奘訳の般若心経で、その冒頭に登場する言葉。

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。」

この冒頭の一行こそ、600巻の書物から成る「般若経」のエキスたる「般若心経」の、さらにそのエッセンスだ。

思い切ってその内容を要約してしまえば、この一行の意味はこんな感じ。
「観音様は、深く修行をしたとき、目に見えるもの、形あるものなどのすべて、そしてそれらへの認識も、一切は『空』であると知った。そして、そのことにより、一切の苦厄を越えた。」

もっとも、「空」という言葉のニュアンスは簡単に書けるようなものでもない(また、塾長自身も、たぶんまだ、その本当の意味はつかみ切れていない)。
あえて言うならば、「無であること」「充実していること」「あらゆる可能性を含んでいること」「超越していること」のすべてのニュアンスを含んだような意味か。

「観自在菩薩」の「菩薩」は、「衆生を救う者」と「修行者」の二つの意味を同時に持つ。
だから、このブログを読んでいるあなたも、何かに充実した努力をし、それによって、またはその努力の周辺によって人を導いているのであれば、少なくともそのときだけは、あなたも「菩薩」である。
(と、塾長は、恩師松原泰道先生から教わった)

人は誰でも、「悟り」の本質たる、素晴らしい智慧を生まれながらにして、自分の中に持っている。

「観自在」とは、観察のすばらしい智慧。そして、それもまた、誰しもの中に眠っている。
ただ、それは、埋もれてしまっているだけだ。

「観自在」であるとは、どういうことであろうか。

この言葉は複数のニュアンスを同時に含むだろうが、その中で、あえて3つを挙げてみたい。

●まずそのひとつは、「ポジションを移動すること。」

 他者のポジションから物事を見ることができるか、感じることができるか、声を聞くことができるか。

●あるいは「タイムラインの移動。」

 時間を超え、過去や未来のどこまでを自分の「観」することの領域を持てるか。

●「意識レベル」の遷移。

 高い意識で仕事を行いつつも、まだ及ばないものの目線で何かをできるか。

そしてさらに、仏教では、「主客一体」という言葉がある。
つまり、「観察する者」と「観察される者」という二つに分かれるのではなく、一体となるところにこそおそらくその神髄がある。

この絵の虎ですら、何かを見ているのではない。虎が見ている対象と虎は主客一体であり、この絵を見ているあなたと虎もまた主客一体である。

そして、「観自在」であったとき、「色、受、想、行、識」の「五蘊」、つまり、割り切って言い切ってしまえば、「自身の知覚」に左右されずに生きるための真の智慧が得られ、「一切の苦厄を越える」のであろう。

私はいつでも観察対象と一体になれるだろうか。

簡単には「観自在」とはいかないだろうが、端緒はつかめているようにも感じる。

生きている間にどこまで行けるかは分からないが、どうせ人生修行であるならば、より高いところを目指したいものだ。

ちなみに、塾長のTwitterのIDは「観自在菩薩」。こっちでも、いろいろ書いています。
http://twitter.com/kanjizaibosatsu

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