エクセルマクロ・VBA達人養成塾小川です。
これからしばらく、9月に行ったキューバ旅行のことでも、写真入りで書いていこうと思います。
飛行機のフライトは、9月14日の夕方でした。Air Canadaの便が17時発だったのですが、仕事がたまっていた関係で、前日からほぼ徹夜。昼過ぎにようやく仕事にケリをつけ、パッキングを終えて、成田エクスプレスに飛び乗りました。
トロントを経由して、キューバの首都ハバナへ。到着したのは15時間後。現地時間の9月14日午後8時くらい。
この写真は、ハバナ空港、入国ロビーでのもの。
入国審査を終えてすぐに撮った写真。向こうにいる人たちは、お出迎えの人たち。
この写真にはないが、入国したキューバ人には、膨大な荷物を持ち込んでいる人が多かった。
その量は、なんとなくの感覚で言うと、肥満した米国人2人~3人分の大きさの荷物、と言えば、なんとなく想像つくだろうか?(笑
どうしてかというと、あとでどんどん実感していったことなのだが、なにしろキューバは、米国に経済封鎖されている影響で、とにかく物資がないのだ。
それで、厳しい条件を超えて海外に出られた人や、家族に会う目的のときだけ入国許可されるようになった亡命キューバ人達が、これでもか!というばかりに、物資を持って帰ってくる。
ハバナ空港、空港内のキオスク。入国ゲートを超えてまっすぐ歩き、左側にある2つめのお店。
Cadena de tiendas: チェーン店
Alimentos: 食料
bebidas: 飲み物
店内右に青いNestleの容器がある。そこに書いてあるのは、「Helados(アイスクリーム)」という文字。
空港内で、日本円を両替できる。
日本円は現金で70,000円を持って行ったのだが、とりあえず、当面の費用として、\20,000-程度をキューバペソに両替する。
キューバには、二種類の通貨がある。
キューバ人向けの Moneda Nacional と、外国人向けの Peso Convertible 。
使い分けとしては、Moneda Nacional はキューバ人が食料や超最低限の生活物資を購入する、バスに乗るといったことをするための通貨。それ以外はPeso Convertible。
外国人が両替で手に入れるのも、Peso Convertible。空港からのタクシーの支払いや、ホテルの宿泊はこれ。レストランで買い物をするのも、これ。
同じお店でも、キューバ人向け価格と外国人向け価格を持つ場合がある。
(この両者の間でも両替をできる。 1 Peso Convertible = 24 Moneda National)
..ということで、キューバ話はまた明日。
今日の午後、紹介されてあるコンサルタントの先生をたずねたのだが、話がまったく不調だった。
相談事もそれなりにあったのだが、追い返されてしまった(笑
彼曰く、要は、「話をしていて、君からは、顧客が成果を出せることに対する感動が感じられない」というようなことだった。
それで気がついたことは、自分のやっているエクセルVBAの研修はもう、「成果がでるのが当たり前」というところに来ているんで、以前のような、「さんざん苦労して、やっとこの人も成果を出せるようになった!」というような感動は持ち得ない、ということ。
その登山道を登ってはじめて富士山に登った人は大きな感動を覚えるかもしれない。
しかし、年間何万人もが通る登山道を造った人のほうは、さんざん苦労したとはいえ、果たして、都度、それと同じ感動を持つだろうか。
エクセルVBAの講座について言えば、僕がやってきたことは、「コンテンツ作り」と「現場でのセミナー実施」。
それらは、言ってみれば、「登山道作り」と「登山ガイド」の両方の役割。
「コンテンツ作り」、すなわち、「登山道作り」がかなりできてしまったおかげで、最近、「登山ガイド」としての自分の役割は、とても簡単なものになってしまった。
安全で誰でも登れる山になってしまったので、人を必死になって救出したりとか、とんでもないぬかるみを迂回できるようにひとりひとり誘導してとか、そういうことをする必要がなくなってしまったのだ。
そして、「登山道作り」の側についても。
最近はかなりコンテンツができあがってしまったので、もう、修正したいことがほとんどない。微妙な調整くらいだ。
できあがるまではいろいろあるかもしれないが、できあがってしまうと、そこにはもう仕事上の感動はない。
ということで、「登山道作り」と「登山ガイド」の両方の役割で、さいきん、自分をちょっともてあましている。
受講生から成果についての報告を受けることはもちろんうれしいのだが、「危険な山を登らせた」というのと、「誰でも登れる山を登らせた」というのでは、自ずと感動(と、その種類)が異なる。
前者は、それはもう、いちいち声を大にして吹聴したくなることかもしれない。
だが、後者は、言ってみれば、「自分が計算した世界で起こる、当然のできごと。」ひとりで酒を飲みながらじっくり味わうくらいがちょうど良いだろう。
道を造る人としての、僕の役目は終わったということか。
「ギャートルズ」に収録されていた話を思い出した。
まるで世事には興味はない、という感じで超然としたフリで酒を飲んでいる男がいる。
そこに、髪もボサボサ、肌もボロボロ、薄汚い格好をした、まるで男に振り向いてもらえなそうな、さえない表情の女の子が通りかかる。
男は、その女の子を捕まえる。
そうして、滝に連れて行って素っ裸にして体を洗い、着るべき服を新調させ、髪を結って、とする。
その女の子は、すっかりべっぴんさんになる。
オチは、その女の子が何人もの男にちやほやされて、そんな自分を楽しんでいるシーン。
そこからやや離れたところで、その男は、最初の登場シーンと同じように、「世事には興味はない」という感じで、あさっての方向を向いてフリで酒を飲んでいる。
女の子も、その男に気を遣っている様子もない。
この話を僕が読んだのは大学生のころだったのだが、主役(準主役?)として登場するこの男をすごくクールに感じたのを今でも覚えている。
なぜクールかというと、「相手の人生が劇的に変わるのだが、自分に取っては、できて当然のことをさらっとしてあげただけ」という感じのところだ。
特に、自分の納得できるレベルに引き上げるためさんざん手間をかけているのだけど、まるで押しつけがましくないあたりは、最高にクールだ。
いまだにその印象は残っている。
そして、人を支援するときいつも思い出すから、きっとあの男は、(たとえ、マンガの一登場人物にした過ぎなくても)僕の重要なモデルのひとりになっている。