マッテオ・モッテルリーニ「世界は感情で動く」を読んでいる。
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前作「経済は感情で動く」もかなりおもしろかったが、こちらもほぼ同じレベルでおもしろい。
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で、「世界は感情で動く」に出てきた引用の一句がおもしろかったので、今日はその話を。
ウォーレン・バフェットの次の言葉だ。
将来への予想は将来のことはほとんど語らないが、その予想をした人については多くを語る
物事には、「大数の法則」というものがある。簡単に言うと、たくさんのケースを調べれば、そのケースの蓄積は真実を表現している可能性が高い。
ところが、世の多くの人は、自分が見聞きした小数のケースが真実を表現していると錯覚し、それが一般的なケースだと主張する。
そして、その「真実」に基づいて、将来についての意見を表明する。
だから、ある人は新月のときと満月のときとでは株価の傾向には違いがあると主張し、コインを3回投げてすべて表が出たとしたら、「次こそは」裏が出る確率があがっているものと固く信じ、大きな賭に出たりする。
冒頭のバフェットの言葉を引用した後、マッテオ・モッテルリーニは「実際、意味や予想は手元の少ない情報から出るのではなく、私たちの頭のなかにあるものだ」と続けている。
私たちは、頭の中にすでにあるものの根拠を、不十分な情報に求めているにすぎない。
悲観的な将来を予言する人、希望的な将来を予言する人。
彼らはすでに、そういう価値観を頭の中に持ち、その価値観にそれらしさを装わせるために、後づけで、たまたま自分にとって都合のよく見える部分を抽出してそれを根拠としているのである。
であれば、身近な人が何か将来について予想を公表しているときにも、「その予想を立てるこの人の頭の中はそもそも普段どういう思考でしめられているのだろうか?」という視点でそれを観察する必要があるだろう。
そしてまた、私たちは、「自分が今誰のどういう意見を受け入れているのか」ということにも、もっと意識を置いた方がよいかもしれない。
なぜなら、私たちもまた、「未来予想」という形を取った不十分な情報を元に世界を解釈しようとしているのだから。
であれば、「自分は今どういう未来像を描いているだろうか」ということをちょっと考えてみることも、あなたの頭の中にある価値観を再検証できるということでもある。
将来予想を聞くときには、その内容の真偽よりも、その予想をした人間と自分自身を観察すべきである、ということだ。